人事評価と切り離せない認知バイアス
様々な時代・場所で、人事評価における評価基準の公平性の重要さについては論じられ考えられてきましたが、「公平」というのは難しいものです。
世界的に人材サービス事業を展開するアデコの調査で、現在の人事評価制度への満足度を聞いたところ、「満足」と「どちらかというと満足」の合計が37.7%、「どちらかというと不満」と「不満」の合計が62.3%となりました。勤務先の評価制度に不満を持つ人が6割以上、また不満の理由として評価基準の不明瞭さや不公平さが挙げられています。
出典元『THE ADECCO GROUP』6割以上が勤務先の人事評価制度に不満、約8割が評価制度を見直す必要性を感じている
出典元『THE ADECCO GROUP』6割以上が勤務先の人事評価制度に不満、約8割が評価制度を見直す必要性を感じている
人事評価に不満を持つ人が多いのに対して、同調査では評価者の77.8%は自分の評価は適切だと思っており、評価する側とされる側で認識の差が大きいことが指摘されてもいます。
出典元『THE ADECCO GROUP』6割以上が勤務先の人事評価制度に不満、約8割が評価制度を見直す必要性を感じている
今回は、人材や物事を判断するときに使われる「レッテル貼り」について説明します。
レッテル貼りとは?一部分を切り取った決めつけ
レッテルとは「商品の目印として貼り付ける紙札」「ある人物や事物に対して一方的、断定的な評価をすること」という意味です。もともと「文字」を意味するオランダ語の「letter」を語源とするカタカナ語で、英語由来では「ラベル」と表現します。ただし、前述の後者の意味で使うのは「レッテル」だけです。
本来の意味は、一つ目に挙げた「商品の目印として貼り付ける紙札」であり、商標と商品名を記した紙片を商品の容器や包装に貼り付けることで、自社商品の認知度向上を図ったものでした。それゆえ「商標」自体をレッテルと呼ぶ場合もあります。
二つ目の意味では、商品に商品名や値札をつける事にたとえて、特定の人や物に対して一方的に評価を下している場合に「レッテルを貼る」という言葉を使います。「レッテルを貼る」行為は、相手のことを深く知らないまま、何らかの偏見に基づいて行われる事がほとんどです。そのように貼られたレッテルに不快な思いをしている人は少なくありません。たとえば「男性の方が営業に向いている」という通説は立派な「レッテル貼り」です。
レッテル貼りの意味について
レッテル貼りとは、物事を1つの型に填めて、全体を一括りに判断することです。たとえば、他人に対して「真面目」や「几帳面」「ほがらか」などと表するのも、レッテル貼りです。
誰もが小さいころから、他人から無数のレッテルを貼られてもいます。「女の子なんだから、◯◯◯しなさい」「お兄ちゃんなのだから、◯◯◯でなければいけない」などという性別や年齢で差を付けるのもレッテル貼りの一種です。私たちは、無意識のうちに“自分に貼られたレッテル”に従って行動するようになります。貼られたレッテルに気づき自分がふと疑問を抱いたとき、葛藤することになります。
「レッテル貼り」の背景には、「ラベリング理論」が大きく影響しています。
「ラベリング理論」とは、1960年代に社会学者のハワード・ベッカー氏が提唱した『人間の逸脱行動』に対する理論です。ラベリング理論によると、人の逸脱行動はその人に貼られたレッテルが大きく影響していると論じています。たとえば「私の上司は頭がキレる」「彼は素行が悪い」など、人の人格や性格、アイデンティティにレッテルが貼られた場合、レッテル(ラベリング)貼り自体が、その人の行動(逸脱行動)に大きく影響すると言われています。
レッテル貼りの具体例について
ビジネスシーンでの例として、部下に「君は優秀だ」とことあるごとに褒めていると、期待がポジティブなレッテル貼りになり、部下は期待に応えようと努力します。結果、実際に良い成績を出すことにつながります。期待されすぎたことで疲弊してしまい実力を出せない人もいますが、レッテルを上手く自分のアイデンティティに盛り込んで成長している人は、組織の中で成功していくでしょう。
レッテル貼りは、周りの環境に良くも悪くも左右されています。逆に自分の実態と異なる不本意なレッテルが貼られた場合、自分のパフォーマンスにネガティブな影響が表れることはよくあることです。
少し視点は変わりますが、先ほどご紹介した「ラベリング理論」に、有名な不良少年の例があります。学生時代は、必ずと言っていいほどどこの学校にも不良少年と呼ばれる属性がいます。ラベリング理論によると、不良少年は「レッテルを貼られた(ラベリングされた)」ことによって「不良になった(逸脱行動をした)」という説が有力だと言われています。
ある少年がたまたま悪いこと(友達の消しゴムを隠すなど)をしてしまったとします。普段はいたって良い子であるのに、この一回の行動によって、その子は先生や他の生徒から「彼は良くない」とレッテルを貼られます。そうなると、人格形成(アイデンティティの確立)が未完成の少年にとっては、周りのレッテル(ラベリング)が自分のアイデンティティ(人格)だと思い込み始めます。結果として、自分のアイデンティティが不良と思ってしまうので、彼の行動も自ずと不良のような行動に変質していきます。最初は消しゴムを隠しただけだったのが、万引きやケンカなどに発展していくのです。
このように、少年が不良になったのは生まれつきではなく、周りがレッテルを貼ったからだというのが実験の結論です。
レッテル貼りによって引き起こされるメリットについて
そもそも「レッテル貼り」は、人が生きる上で必要な機能と言われています。レッテル貼り、すなわちカテゴリー分けをしないと「小さくて赤くて丸い果物(リンゴ)」を見る度に、毎回「これは何だろうか」と判断する必要性が発生してしまいます。カテゴリー分けをしていれば「小さくて赤くて丸い果物=リンゴだろう」と一瞬で判断することができ、判断にかける労力を最小限に抑えることができるのです。人の生活というのは判断の連続ですから、レッテル貼りをすることで判断にかかる労力を軽減できるというのは、非常にメリットが大きいものです。
レッテル貼りは、ビジネスを理解する上で重要なアプローチの一つでもあります。たとえば、コスト構造や業界での戦い方を見極めた上で「このビジネスは典型的な〇〇である」という判断をするイメージです。
私たちを取り巻く企業や業種は無数に存在します。だからこそ、ある断面を切り取ってどのパターンに該当するか考えることは、ビジネスの本質を理解するための時間を大幅にショートカットしてくれます。
レッテル貼りによって引き起こされる問題やデメリットについて
「レッテル貼り」と言うとネガティブな印象があるように、カテゴリー分けに伴う負の側面はもちろん存在します。
社会にはさまざまな人がいます。ある属性の平均的な印象から大きく異なる個人は必ず存在します。彼・彼女の平均的な印象だけを見て「この人はこういう人だ」と決めつけてしまえば、そこに大きな乖離が生じてしまいます。レッテル貼りによる「本来の姿からかけ離れたイメージ形成」が差別やディスコミュニケーションの温床になってしまいます。レッテル貼りは、使い方次第で相手の気分を良くすることも不快にさせてしまうこともあるのです。
上司が部下に「〇〇さんは成績が良くない。もっと営業をしっかりしなさい」というのと、「〇〇さんはやればできる人だ。期待しているので営業の仕方を□□のように工夫してみるともっと成績がよくなると思うよ」というのでは、相手に与える影響は大きく違ってきます。
前者では”成績が悪い”というラベル、後者では”やればできる”というラベルを貼っています。なるべくポジティブなラベルを貼ることで、相手にとっても自分にとっても、いい影響を与えるとともに良好なコミュニケーションの構築が実現できるのです。
「レッテル貼り」は、日常のどこにでもあるもの
レッテル貼りとは、物事の判断にかかる労力を削減するために人材や物事をカテゴリー分けする現象のことであり、人間が生存するために身につけた本能です。
正しいカテゴリー分けができていなければ、誤った認識で人材や物事を判断してしまう可能性があります。特にうまくいかなかった・失敗してしまった場合には、人材や物事に対してレッテル貼りしている前提がないか、前提があるのであればカテゴリーは正しいカテゴリーなのかを見極めなければ、同じ失敗を繰り返してしまう可能性があるため、十分に留意する必要があるのです。