不透明な時代だからこそ重要な「新人」の存在
一般財団法人 日本生涯学習総合研究所の調査によると、入社時の新入社員教育を行っている企業は全体の97.5%、入社1、2年及び中途採用を除く新入社員フォロー教育を行っている企業は72.4%に上ります。非常に多くの企業が新人の育成に力を入れていることがわかります。
出典元『一般財団法人 日本生涯学習総合研究所』「企業における人材育成」に関する実態調査 概報
厚生労働省の調査によると、正社員に対する教育訓練で「OJTを重視する」「OJTを重視するに近い」と回答した企業は70%を超えています。
同調査によると、新入社員と中堅社員に対する計画的なOJTを実施する企業はここ3年で増加傾向にあり、従業員の育成に対する企業の意欲の高さが伺えます。
今回は、教育研修を効果的に行うために注目されている理論の一つ「認知的徒弟制」について説明します。
認知的徒弟制とは?どのような学習方法なのか
認知的徒弟制とは、伝統的な徒弟制の職業技術訓練をモデルとして、見習い修行の学習過程を認知的に理論化した学習方法のことです。米国の認知学者ジョン・S・ブラウン氏やアラン・コリンズ氏らによって提唱されました。
一昔前の組織では、上司は部下に対して「私の背中を見て仕事を覚えなさい」という伝統的徒弟制的な仕事の教え方が主流でした。日本特有かもしれませんが『叱る』ことに重きが置かれていた時代もありました。徒弟制と似て非なるものとして、海外では「認知的徒弟制」というものが提唱され、注目されてきました。
認知的徒弟制では、弟子が熟達者から学ぶ過程で(1)モデリング(modeling)(2)コーチング(coaching)(3)スキャフォールディング(scaffolding)(4)フェーディング(fading)という四つの段階があり、このステップを踏むことで、効果的・効率的に技能の継承が進むと考えられました。
- モデリング:学習者が熟達者の手法や仕事の技術を実際に見て学習する段階
- コーチング:習者が熟達者に基本を習う段階。熟達者から課題を与えられることも
- スキャフォールディング:学習者が自立できる足場づくりを熟達者が構築する過程。学習者が自立するために熟達者がサポートする段階
- フェーディング:熟達者が段階的にサポートを減らし、学習者一人でも全行程ができるようにしていく過程
認知的徒弟制の目的について
『高校や大学などまでの学習過程で学んだことが仕事などの実践で役に立たない』。そう感じている人は少なくないと思います。学校教育における教育システムでは“理解”と“日常生活における経験”がかけ離れていることでもあり、学習者である若者が困惑する原因にもなっていると言われています。日本のように教師が一方的に話をし、生徒たちがそれを聞くといった学習のスタイルも一つの要因であると言えるでしょう。根本的な学びの問題を解決する一つの策として注目されているのが「認知的徒弟制」です。
現代のように混沌とした時代、社会に求められている人材は、「他者に依存することなく、自らで判断・行動できる自立した人材」であり、自律した人間であると言えます。そういった人材を育てるためには「認知的徒弟制」の考え方が不可欠です。
認知的徒弟制の6つのステップについて
学校教育にも活用できる「認知的徒弟制」には、6つのステップが必要と言われています。
- モデリング(modeling)
- コーチング(coaching)
- スキャフォールディング(scaffolding)
- アーティキュレーション(articulation)
- リフレクション(reflection)
- エクスプロレーション(exploration)
「モデリング」「コーチング」「スキャフォールディング」は前述した4つのステップと同項目ですが、「アーティキュレーション」リフレクション」「エクスプロレーション」の3つは以下のような意味になります。
- アーティキュレーション:学習者の知識や考え方を言語化し、問題解決までの過程を明確化する
- リフレクション:“内省”や“熟考”などを通して、学習者の問題解決の過程を他と比較検討する
- エクスプロレーション:学習者自身が問題を提起し解決できるように熟達者(教師)がサポートする。フェーディングと同義とされている
認知的徒弟制を活用する企業としてのメリットについて
日本国内のさまざまな組織・企業などで活用されている認知的徒弟制ですが、効果をもっとも得られる環境は仕事をする職場です。守るべき伝統や技術・スキルの見極めを丁寧に行い、自社独自の認知的徒弟制を作成し運用していくことで、企業には多くのメリットがあります。
マニュアル化し難い要素を継承していくことができる
認知的徒弟制は技術やコツなど、特にテクニカルな部分を第三者に詳細に伝えることができ、不明点や苦手部分についての確認やレクチャーもリアルタイムかつピンポイントに実施することが可能です。マニュアル化しにくい要素を次の世代に教示する際に非常に有効と言われています。
製造業や建設業など明文化することが難しい領域では、ノウハウを多く有している事業者ほどベテランから若手職人への技術継承をスムーズに実施できるよう、認知的徒弟制の導入を検討することが重要です。
後任・後継者の育成を意識的に実施できる
熟練技能者からの若手の人材へ、直接指導することで明文化しにくい高度な技能を教え、習得することを目指す認知的徒弟制ですが、マンツーマンでのしっかりとした教育環境を構築することで若手人材に「自分が後継者候補なのだ」という強い自覚を持たせることができます。
彼らのモチベーションやその会社での未来志向を高めることにつながります。
独自技術のブランド化
どれほど優れた技術でも、継承できなければ残念ながら廃れてしまいます。高い技術力を有する中小企業や町工場の多くが、この問題に頭を抱えています。希少な技術に興味を持つ人材は多くなく、後継者候補を見つけることは容易ではありません。
時代背景も踏まえ、企業は後継者候補を探す前段階として、自社の独自技術に対する世間の認知度を向上させていくことも必要不可欠です。認知的徒弟制を考える際、おのずと自社ならではのブランドが明らかになり、またそのブランド力も向上するメリットもあるのです。
モチベーションアップと組織活性化
指導者からの評価や資格試験などによって、育成される側は、自身の技能レベルが可視化でき高いモチベーションを維持した状態で、自分の技術を磨き続けていくことができます。
意欲的に業務や訓練に向き合う彼らの姿は他の社員にとっても良い刺激となり、組織全体に多くの活力を生み出すことが期待できます。
認知的徒弟制を活用する従業員としてのメリットについて
熟練した先輩や技術者たちは、長期間、失敗と工夫を繰り返しながら1つの技能を磨き上げてきました。試行錯誤した経験は彼らの技術精度を高めるだけではなく、未知の領域への挑戦も可能にしていくものでしょう。
卓越した技能であるほど、細かい作業や微調整、経験則による反射的判断が求められます。どれほど卓越した技術者でも、年齢などによるタイムリミットは存在します。個人の力の限界を認知的徒弟制度によって次の世代に受け継いでいくことで、若手人材はより高いレベルの挑戦と身につけるべき技術を習得できます。先輩から受け継いだ目標や課題に対して、高いモチベーションをもって挑戦することは個人のスキル向上とイコールです。
徒弟制度によって技術的要素とともに精神的要素を共有していくことで、組織全体で目標の実現に向けて全力で取り組み、更なるイノベーション(技術革新)を生み出していくことが期待されます。
守るべき伝統や高度な技術を継承していくために
認知的徒弟制とは、職業技術訓練の学習プロセスを理論化したものであり、日本企業でも多く用いられている教育研修制度であるOJTなどにも応用できるものであります。
定型化できない付加価値労働については、マニュアルだけでは学習が困難なものです。そういった際には認知的徒弟制のステップを理解して追うことで、効果的な人材育成が可能になるのです。